やはり、という感じだ。
最近は山口がいなくてもゲームになっていることに、喜びと感慨と少しの寂しさを感じていたから。来年には、覚悟しなくてはな。と思っていたが半年早かった。
山口の横浜FC移籍。期限付きのとはいえ・・・。
山口一人だけの功績では決してないだろうが我がチームは昨年J1昇格となった。
山口が来て、チームは変わった。それが出来る男でありプレーヤーなのだ。新潟でくすぶらせておくには惜しい。日本のサッカーにとっても、とてももったいないことだ。
今回の移籍は非常に寂しいが、悲しくは無い。涙をこらえて笑って、
「行って来い、活躍して、そして愛されろ」と言いたい。
二度目の昇格チャンスを逃し、泣きはらした目の俺らに飛び込んできた2002年の入団ニュース。
入団最初のブラジルキャンプで高卒ルーキーの尾崎を叱っている姿。
2003開幕戦後の記者会見での晴れ晴れとした顔。
2003の小瀬、甲府戦。新潟での初ゴール。ゴール裏に向かって駆け寄り、ユニホームの新潟のエンブレムを叩きながらはじける山口の笑顔。山口と俺らは、あの時確かに抱き合っていたのだ。(嬉しさのあまり、おれは足をすべらせ?ピッチに落ちてしまった。懺悔します)
そしてやはり2003昇格決定の瞬間、ピッチ上でまるで泣き崩れるように顔を覆いしゃがみこむ姿。
2004年には、いよいよ明らかになってきた、寡黙そうで実はおちゃめな人柄と言動。名古屋のサポが妬くくらい、新潟ではリラックスしてくれていたように見える。
いろんなシーンを一つ一つ丁寧に思い出してゆく・・・。
気が付くと涙ぐむ俺がいる。(ダメだろ!俺!)
見せてやれ、山口。新潟を変えた力を。
・・・そして、帰って来い。
活躍すればするほど新潟には戻る可能性は薄れるのだろう。活躍してほしい、でも、戻ってきてほしい。矛盾したこの感情をもてあます俺なのだ。
2003年開幕直前にもらった小旗へのサイン「ヤマ8」