高倉健さんへの追悼の想いを込めて、居酒屋兆治を観る。
函館が舞台で、83年の映画ということもあり、85年から多感な中学三年間を函館で過ごした自分としては、あの頃の風景の記憶が、空気ごと保存されていたかのような懐かしさを感じ、まずそこに感傷的になってしまった。
戦車の様な色の市電と、その騒音。街のスピーカーから流れる宣伝放送の声。観光資源として、未だ誰も見向きもしていない頃の薄汚い金森倉庫群なんかは、懐かしくて泣きそうだ。
ここから徒歩五分で、当時の自宅があった。なんていう不思議な街に住んでいたんだろう。
主人公の元恋人役の大原麗子は改めて綺麗な人だった。ただ作中では最期は吐血して安アパートで一人で死を迎えるホステスで、救いがない。のちの大原麗子さんに本当に孤独死が訪れるとは、当時誰が思うものか。
新潟出身の映画評論家の佐藤氏が、かつて高倉健について、歌舞伎の辛抱立役を映画で確立したと述べたところ、本人から、詳しく説明してほしいと請われたということだ。
「辛抱立役とは、対立する権力者や敵の意地悪なやり方に耐えに耐え、軽はずみな動きをする若者などを抑えながら、最後には見事な決断で正義を行う、真に実力のある男の役である」ということらしい。
なるほどと思う。
全く無関係に、今日の弥彦山↓